第19回日本思想史学会奨励賞は、ニューズレターを通じて公募した。それに学会誌『日本思想史学』第56号掲載の投稿論文で奨励賞の資格を満たしたものを加え(選考規程第5条)、それらを【論文部門】と【書籍部門】とに分けて選考を行った。
選考委員全員で慎重に審査を行った結果、全会一致で、上記著作への授賞が決定した。
第一次世界大戦後に生じる「世界性」認識への衝動は、日本の「国体」の「世界性」を過剰なまでに強調する議論の登場を促し、戦時期には国体論を中核とした日本的総力戦体制の対外思想戦領域と結合、機能していた。本論文は、このような著者の見通しのもと、これまで『竹内文献』等の「偽書」に関心のある一部の好事家が関心を持つ程度で、その思想史的意義が学問的に十分に検討されてきたとは言いがたい日猶同祖論者・酒井勝軍に注目し、その営為、とくに「八紘一宇」理念を検討する。その分析手法は手堅く、非戦思想の水脈ともいえる「世界性」を希求する潮流が、かえって排他的で独善的な国体論を生みだす逆接を、酒井の思想的営為を通して実証的に解明することに成功している。本論文は、酒井のみならず、これまで研究対象とされてこなかった人物をも適切に思想史上に位置づけることができる視点を提示し、新たな研究の地平を切り拓いたといえ、授賞に値する。
庶民文化と交差した近世出版文化史は、記紀に記載された神功皇后の「三韓征伐」伝説を朝鮮蔑視論ととらえてきた。しかし出版文化が可能にした歴史叙述について、記紀の考証学の展開のなか、「史学史・思想史」としての「三韓征伐」記述の分析は不十分であった。著者は、『書紀』における「三韓征伐」の読み替えに焦点をあわせ、神功皇后の存在とその事績の「史実」としての理解が、近世思想史における、文献考証の学説史とその展開を通じてどのような論理で受容されたのか、史学思想史の文脈で明らかにした労作である。近世前期から維新期にかけて、神功皇后の事績は儒学的道徳・道理のぜひから古代東アジア関係史のなかの国防問題へと創出されていく。その論証は手堅く、山崎闇斎等から『大日本史』にいたる段階の史論の、書記記述を大義のない出兵として批判する言説は逆説的に、記紀への批判ももたらされた。しかし、書記の考証が進展は、「魏志倭人伝」の権威に沿って、大和朝廷と卑弥呼、神功皇后の比定に及び、白石も含め新たな解釈の可能性が開かれ、宣長を介して邪馬台国・卑弥呼への交渉の東アジア諸国関係史における、国防としての「三韓征伐像」を算出していく。著者の論証は手堅く、史論の創出過程を学統学説史から辿る手法は、東アジア関係をめぐる歴史認識としての「三韓征伐」論の解明に成功している。本論文は、擬史と史論、歴史認識と近世思想史を架橋し、位置付けることが可能な方法を示し、新たな研究の地平を切り拓いた点で、授賞に値する。
本論文は、日本中世の禅僧虎関師錬、明末に渡日した中国知識人独立性易、さらには日本近世初期の儒者林羅山に、「春秋学」の観点から比較検討を加えた研究である。論点は多岐にわたるが、虎関師錬『元亨釈書』、独立『元亨釈書評閲』、林羅山の諸著作を緻密に分析しつつ、虎関の春秋学は「左伝」に、独立の春秋学は「胡氏伝」に主として基づいており、そのことが文学を重視するか義理を重視するかというそれぞれの特質と連動していることが指摘されるとともに、同じく「胡氏伝」に依拠し義理を重視した羅山と比較すると独立のほうがより高度な春秋学の理解に立っていたことが指摘されている。
以上のことをテクストの精緻な読解にもとづいて明らかにする本論文は、日本における中世から近世への思想史の移行のあり方、そこにおける仏教と儒教の関係、宋学受容のプロセス、明末に渡日した知識人の果たした役割など、さまざまな研究の文脈へ豊かで重要な示唆を与えるものである。中世から近世への移行期の日本思想史の研究に、日中の関係をも視野におさめつつ新生面を開く研究として、本作は授賞に値すると言えよう。
本書は、幕末日本における陽明学の諸相を、「維新回天の源泉」といった変革思想の側面からではなく、池田草庵や山田方谷のような実際の陽明学者たちの形而上学的な側面から明らかにした点で大きな学術的意義を有している。またその際、地道な資料調査を行うとともに、明末儒学という補助線を導入することで、思想の内容よりは実際の行動に偏りがちな幕末思想史の描き直しを図っている点も見逃せない。
「守旧の朱子学」に対抗する「革新の陽明学」という図式は、井上哲次郎以来の根強い語りである。無論こうした朱子学理解も、学術的にはすでに更新されている。だが「対抗思想」とされた陽明学についての理解はそう大きく改められたわけではない。むしろこの問題が残されているがゆえに、件の図式は、学術世界に限らずさまざまな場面で再生産されてきたのではないだろうか。本書は、そうした枠組みそのものに切り込んだ点で高く評価できる。
「幕末期」を掲げる本書だが、その射程は決して当該期にとどまるものではない。方谷の弟子である三島中洲を取り上げることはもとより、先の「図式」を形作った井上の「三部作」をも俎上に載せている。こうした点で本書は、近世と近代とを架橋する、あるいは日本の儒学思想の19世紀を描こうとする重要な試みでもあるだろう。
本書は、こうした特筆すべき点を有しており、授賞に値する作品と言えよう。
本書は、政治思想史家・文藝評論家であった橋川文三に関する、政治思想史の視角からする初めての本格的研究である。方法としては、個人的な交流のあった三島由紀夫と丸山眞男、そして柳田國男という三人の思想家との関係を明らかにする手順を通じて、橋川の初期から晩年にまで至る歩みを、詳細に描きあげることに成功した。
日本浪曼派から学び、三島由紀夫の作品との対決を通じて深めた、美と政治との一体化をめざす「突破の思想」。そこから丸山眞男の「近代主義」的傾向に対する違和感を橋川は抱き続けたが、他面で政治の論理の全面化に与することもない、「中間者」の道を求めた。その歩みの延長線上に、1960年代以降の橋川による柳田國男研究があると著者は位置づける。そこで橋川は、柳田の地方共同体論に注目することを通じて、「突破の思想」と「保守の思想」との両義性の内にとどまる「中間者の眼」を保ち続けた。思想史家であると同時に思想家でもある複雑な人物をめぐり、史料の周到な発掘と収集に基づきながら、その思想の全体像に迫った力作である。
本書は、「東洋のルソー」と称される中江兆民のテクストを、彼の儒学思想に注目して分析することにより思想史的再評価を試みた著作である。中江兆民の『民約訳解』は、明治期におけるルソー『社会契約論』の翻訳の中でも卓越した理解に達したものとして、つとに評価されてきたものであるが、一方で兆民は、『訳解』において『社会契約論』を全訳したわけではなく、原著に存在しない文章も意図的に加筆していた。著者はこれを誤読ではなく、儒学の普遍性を確信した兆民が選択した積極的な「戦略」として評価し、『訳解』における「義」と「利」との関係、主権者の問題、「討議」と公論形成の問題について検討を勧める。そこでは、ルソーの翻訳者、祖述者という視点からは捉えきれない「ルソーから乖離する兆民の姿」も見出されていくことになる。
従来から膨大な先行研究が存在する中江兆民研究のなかで、思想形成期における儒学を重視する視点が皆無であったわけではない。しかし、その視点を一貫させて兆民のテクストを掘り下げ、『民約訳解』の新たな解釈を提示した点において、本書はすぐれた学術的意義を有するものと評価できる。読み易い文体とともに、今後の研究の発展を期待させるものもあることから、奨励賞に相応しいものと評価した。
民衆宗教研究は蓄積のある分野として知られてきた。これに対し本書は、従来の研究史が内地中心であり、帝国内の相互の関係性を看過してきた、という研究史のアポリアを、日韓の最新の研究動向はもちろん、総督府文書や希少性のある新聞資料、宗教団体の内部資料など膨大な資料調査をふまえて描きだした。史資料の博捜と精査をふまえ全体に、支配・被支配では捉えにくい「植民地近代」の動態を帝国内部および相互の関係性として、宗教思想史の側から描き出した、国際性を持つ新たな枠組みを持つ民衆思想史研究の労作である点が高く評価された。
本書による、朝鮮民衆宗教の実相解明の方法は、普天教など「底辺民衆」に密着した諸宗教の実態から構図を捉えるとともに、朝鮮民衆宗教の「展覧場」ともなった宗教的「聖地」―新都内について、「写真資料」も含めて日本で初めて紹介するなど新規性を持つ。特に、基礎研究が不十分であった『鄭鑑録』の底本の異同を明らかにし、その流通に着目することで、植民地朝鮮期の、日本の諸宗教団体との交差や在朝日本人社会および植民地権力の深い関与を説得的に示した。加えて朝鮮民衆宗教の動静が、大本教や浄土真宗(同朋教会)と交錯しつつ展開したこと、民衆宗教の周縁に「大陸浪人」「朝鮮浪人」や右翼団体などが入り乱れて存在していた点を明らかにするなど植民地期朝鮮の民衆宗教がおかれた付置をめぐる新たな知見が随所に示されている。
最後に、本書は一貫して、著者の、韓国側の研究動向や文献にも精通した着眼および翻訳力が生かされた成果である。主題に関わる古典韓国語の解読をはじめ、東学以来の民衆宗教諸団体の断簡的史料や詩文などの伝承史料が本書では丁寧に翻訳されるなど、本書は思想史研究における民衆宗教主題にとって、基礎研究としても学界に益すること大だろう。